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2011.12.28(水) 手順
割と近所に、すごいナチュラリストがいることが分かり、昨日(28日)、会いに行ってきた。
お名前は、徳永浩之さん。
一緒に野を歩いてもらい、休ませている田畑をお持ちだということなので、帰りにそれらも見せてもらった。
ちょうど、背の高い息子さんが出てこられ、とても気持ちよく挨拶をしてくださった。あまりの爽やかさにドキドキしてしまい、こちらがまともに返せなかったことに悔いが残る。
息子さんの挨拶を目にすれば、徳山さんがどのような人なのか、奥深くにあるものが伝わってくる。
徳山さんの存在はフェイスブックで知った。僕は、フェイスブックやツイッターなどは、基本的には好きではないのだが、イイこともある。
最初に、
「スゴイ奴がいるから・・・。」
と豊田ホタルの里ミュージアムのスタッフの方のところへ連れて行ってもらったのだが、スゴイ人がいた。
たった一人の人間が、これだけのことを調べられるのか!という驚き。
いや、調べるだけでなく、一般の人に分かりやすいようにまとめてあった。
それらを見たり、読んだりするためだけに、いずれまた出直したいと思う。
次に、秋吉台エコ・ミュージアムの田原義寛さんの案内で、秋吉台の周辺を歩いた。
田原さんのお会いするのは、2度目。
田原さんは、仕事場以外でも、主にご両親が仕事をしておられる田んぼを、生き物たちが過ごしやすいように整えるなどの活動をしておられる。
田原さんは、農家の生活の厳しさも知っておられるし、一方で生き物たちを愛しておられる。
それを両方知っている人の話は、じっくりと聞いてみたいものだと思う。

徳永さん(右)と田原さん(左)

ともあれ、これだけの人材が、この狭い場所にいるのか!と驚かされる。
どんなにいい写真があっても、それをプロデュースできる人がいなければ、多くの写真は埋もれてしまう。
それは写真に限ったことではなく、自然についての研究や調査にも当てはまる。
日本の自然を考えるとき、今日本の社会に一番必要な存在は、人と人をつなぐ能力に長けた人ではなかろうか。
僕は、徳山さんのそんな能力に興味を持って、会いに行ってみたのだった。
田んぼ以外でも、カエルの越冬地へ行ってみた。



岩をめくると、タゴガエルが出てきた。

周囲の様子を撮影した画像から、人工物を消してみた。この場所には、以前使用されていた取水をするためのパイプがある。
そうした画像処理については、いろいろな意見があるが、その是非は、その写真がどんなタイプの写真であるかによって違ってくる。
自然写真には大きく分けて2つのタイプがある。1つは、現実を伝える写真。あとの1つは、こうあって欲しい、という理想を伝える写真。
タゴガエルの生息地には、そうした余計なものは、あって欲しくない。
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2011.12.27(火) 手順
僕の大学時代の恩師は、昆虫の体内時計や光が昆虫に与える影響の研究の第一人者だったが、先生の長年の実験材料は蚊だった。
別に、蚊が好きなわけではないのだそうだ。
「この生き物が好きだから調べたい、というのはダメなんです。この現象について調べたいのだけど、それを調べるにはこの生き物が一番適しているからそれを調べる、というのが生物学なんです。ショウジョウバエの研究がいい例ですね。ショウジョウバエが好きだから研究するのではなく、遺伝の研究にショウジョウバエが適しているから研究するわけです。」
というのは先生の持論であり、昆虫の体内時計を研究する上で、蚊は先生にとって最も適した材料だったのだろう。
先生は、徹底して論理的であることを追及する科学者であり、生き物屋さんというタイプではなかったことも、そうした主張に表れているように思う。
僕は、
「この生き物が好きだから、その生き物を材料にしたい。」
もあってもいいのではないかと個人的には思った。が、その動機は、確かにあまり論理的ではない。
自然写真の世界にも、同じようなことがある。
トンボの写真を撮りたいからトンボにカメラを向けるもあるが、何かを表現する上でトンボが適しているから、トンボを被写体に選ぶのもある。
岩合光昭さんや亡くなられた星野道夫さんは、自分の思いを表現し得る被写体を選んでいるように思える。僕と年齢が近い人では、福田幸広さんなども同じタイプではなかろうか。もっとも、ご本人に話を聞いたわけではないから、それは、写真を見て僕が感じる印象に過ぎない。
さて、ただ生き物のことを紹介するのではなく、日本の自然はこうあって欲しい、という自分の思いを込めた本を作りたい、と以前書いたことがあるが、その場合、それができる被写体を選ぶことが肝心だろう。
ただその前に、「日本の自然はこうあって欲しい。」とメッセージを発するのだから、自分にとって自然とは何かを定義する必要が生じる。
そしてそれを定義しようとすると、僕の頭の中に、蚊やゴキブリといった生き物が思い浮かぶ。
多くの人が、「自然を大切にしましょう」という時に、その自然の中には大抵蚊やゴキブリは含まれてないし、人に病気を引き起こすような生物も含まれてないだろう。
人間にとって自然っていったい何なのだろうな?という疑問が湧いてくる。
ならば、自分が蚊やゴキブリをどんな存在だと見ているのか、まずはそれを語り、僕にとっての自然を定義した上で、次に、日本の自然はこうあって欲しいという自分の思いを込めた本を作るのが手順だと思った。
がしかし、出版の機会は偶然の出会いのようなものであり、どうも順序が逆になりそうだ。
来シーズンは、カタツムリの写真をたくさん撮影する予定だ。
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2011.12.22〜26(木〜月) 公園

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO
大通り沿いにあって、いつも気になっていた公園に行ってみた。
通り掛かりに見る範囲では、駐車場にたくさんの車が止まっている訳でもなく、人で賑わっている雰囲気ではない。
なるほど!遊具があるわけでも、芝生広場があるわけでもなく、大部分の人を喜ばせるような仕掛けはない。
住民を喜ばせるという観点から見れば、失敗作かもしれない。
しかし、公園というよりは登山道のような感じが、僕にとっては楽しい。
なんだか、出版にも通じるものがある。
ともあれ、この公園の設計に携わった人に会ってみたい気がする。おそらく自然が好きな人で、樹木の専門家ではなかろうか?
水路があって少量水は流れているが、あくまでも水路であり、水辺とは言い難いのがちょっと残念だった。

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO
午前中とは打って変わって、午後は、にわかに空模様が怪しくなる。夕刻からは雪の予報だ。

NikonD700 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)SILKYPIX
翌朝は、山間部では積雪がみられた。
風が強いが、21日の日記で紹介した防寒具なぎを身につけておけば、まるで布団の中から顔を手だけを出して写真を撮っているかのようだ。
ところが途中で腹具合が悪くなり、つなぎを脱いでトイレへ駆け込むことに。
腹を壊した時には、いったん全部脱がなければお尻を出すことができないつなぎは、ちと都合が悪い。
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2011.12.21(水) 防寒つなぎ
冬の野外で撮影する際に一番大切なことの1つに、撮影機材うんぬんよりも、体を冷やさないことがある。その点、2011年11月22〜23日の撮影日記で紹介した『フライト防寒つなぎ服』は、とにかくむちゃくちゃ暖かい。
冬の野外で活動する上で、これ以上のものは存在しないのではなかろうか?とさえ思えてくる。
しかも、5000円強と、コストパフォーマンスも大変にいい。
もしも本当に暖かい防寒具が欲しいのなら、万単位のお金を払わなければ買えないアウターシェルもダウンジャケットも、このつなぎには敵わないだろう。
今うちの事務所に来たものは、老若男女を問わずみなこのつなぎを試着し、どんな客もしばらく屋外に出てその暖かさを体験しなければ、話は何も始まらない。
数少ない欠点をあげるとするならば、大げさ過ぎて九州ではこれを身に着けたままお店に入りにくいこと。
がしかし、この点に関しては、人目に触れにくい野外で撮影するのに何の問題もない。
それから、逆説的ではあるが、出来が良すぎて愛着が湧きすぎることも、場合によっては欠点と言えるのかもしれない。
僕は当初、5000円前後なら汚れてもボロボロになっても悔いはないし、乱暴に使用できると思っていたのだが、今やカワイイ、カワイイと頬ずりしたいくらいの存在になってしまった。
そうなると、僕の撮影の仕事にはちと都合が悪い。僕の場合、撮影の際には半分以上地べたに這いつくばっており、身に着けるものは泥だらけになるし、肘や膝はすぐに破れてしまう。
そこで、撮影の際にはこのつなぎの上に、より安価な雨具を一枚着用することにした。
雨具は、近所のホームセンターで売られていた、上下セットでおよそ3000円とさらに安価なものだ。
先日、その雨具を使おうと思ったら、見当たらなくなった。思いつく限りの場所を探してみたがダメ。
破れたり、どうなってもいいと思って買った雨具だが、なくなってみると案外悲しいもので、少々落ち込んだ。
もちろんお金も惜しいが、愛着の問題だと言える。
だがついに観念し、新しいものを買おう!と決意した瞬間に思い出した。そうだ!撮影の際に、カメラバッグのポケットに突っ込んだんじゃなかったっけ?
あった、あった!
ここのところ、物が見当たらなくなり、諦めてまた買おう、と決意した瞬間に思い出すというケースが立て続いている。
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2011.12.18〜20(日〜火) 新しいスタイル
ある写真家は、
「高い評価を得るコツは、失敗作を見せないことだ。」
と書いておられた。同じような写真を山のように撮り、その中から偶然撮れたわずか数枚の傑作を抜き出し、それがあたかもすべてであるかのように見せる。すると、
「この人は写真が上手い!」
と誤解してもらえるのだそうだ。
しかし、何が失敗作なのかは、その人がどんな立場の人なのかによって異なる。
写真家にとっての失敗作と編集者にとっての失敗作はしばしば違うし、写真家にとっては見せたくない写真が、編集者(本作りをする者)にとっては、大変にいい写真であったりもする。
逆に、写真家にとっての傑作が、本作りの上では使えない写真であったりもする。いや、むしろそんなケースの方が普通であるのかもしれない。人様のホームページやブログを眺めてみると、写真家の立場から言うと傑作と言える写真は山ほどあるが、使えそうな写真は案外少ない。
ともあれ、どの写真を表に出して、どの写真をお蔵入りにするのかに、僕はしばしば頭を悩ませる。
さて、先日上京した際に、本作りのパートナーであるボコヤマクリタさんともお会いして、次の本作りのための打ち合わせをした。
ボコヤマさんからは、本作りをする人の立場から、
「こんな風に写真を撮ってもらえるとやりやすい。」
とリクエストが寄せられた。
そこでここ数日は、ボコヤマさんのリクエストに応えながらも、同時に写真家としての立場も両立させられるように、新しい撮影スタイルを模索している。
スタイルを変えるために、新しいカメラバッグと三脚を手に入れた。
移動の最中にもストラップ付きのカメラを胸からぶら下げておき、背中のカメラバッグを下すことなしに背負ったまんまの状態で写真を撮るなど、いっけん横着そうな撮影も試してみた。 昨日は、北九州市の平尾台へと出かけ、普段の5倍くらいの写真を撮った。

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO

NikonD700 AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO
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2011.12.17(土) 更新
上京等があり、遅くなりましたが、11月分の今月の水辺を更新しました。。
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2011.12.15〜16(木〜金) カワニナ

NikonD700 Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D SILKYPIX SB-R200
泥か石ころみたいやなぁ。

NikonD700 Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D SILKYPIX SB-R200×2
中には上陸しているものも。
カタツムリは、どうやって陸上で暮らすようになったのだろうか?このカワニナのように、水の中に暮らしつつ、時々岸辺に上陸して食べ物をあさっている間に、やがて肺を持ち、陸の生き物になったのだろうか?
貝類の進化について厳密なことは知らないのだが、そのカタツムリの殻が退化して、やがてナメクジの仲間になる。
中には、退化してしまったごく小さくな殻を背負ったカタツムリや、殻の痕跡をもったナメクジも存在する。
さて、先日ある出版社で、
「武田さんはカタツムリをどんなきっかけで撮影するようになったのですか?」
と問われたのは、カタツムリを撮影する人は少ないからだと思う。
生き物の本の出版は、まず第一に、幼児なのか、小学生向けなのか、大人向けなのか・・・誰が見るのかを考慮する。
そこに対する配慮なしで、日本の自然写真業界で飯を食うことは、おそらく不可能だろう。
今のように景気が悪いと、大人向けのものは非常に難しい。ホームページの日記やその他にそこそこ反応があるので、つい勘違いしてしまうのだが、国政選挙の際に「自然」を争点に掲げても、まず相手にされないことを考えてみれば、大半の大人にとっては他にもっと大切なことがあるとよくわかる(とは言え、誰かナチュラリストや科学者が立候補してもいいのではないか?とも思う)。
僕が写真を覚えたころは、毎年バンバン出版されていた美術書にも近い大人を楽しませる写真集などは、今や絶滅危惧の状態だ。
僕の場合、まずは幼児向けのものを手掛けた。
たまたま声を翔けられ写真を撮ってみたら、幼児向けの出版に携わっている人には、誠実にお付き合いしてくださる人が多くて、そうしたみなさんと接するのも悪くないな、と感じた。
幼児向けの場合、象徴的なのはダンゴムシだ。
(オカ)ダンゴムシは外来の生き物であり、日本の自然という観点から言えば、言葉は悪いが外道だと言える。
がしかし、そんなのは大人の論理であり、ダンゴムシは幼児にとっては身近な生き物であって、子供はしばしばダンゴムシが大好きだ。アメリカザリガニも、これに準ずる。
幼児に大人の論理は通用しないし、幼児向けの場合、理屈抜きで、幼児が持っている野生の本能に働きかけるように本が作られる。
カタツムリは大半のものが日本産だが、ダンゴムシやアメリカザリガニと同様に、幼児に人気の定番の生き物であり、僕はそこでカタツムリと出会った。
小学生向けになってくると、次第に理屈っぽくなる。昆虫図鑑とか、両生爬虫類図鑑とか、野鳥図鑑とか、動物(哺乳類)とか・・・分類学の要素などが加わってくる。
そして多くの自然写真家も、それに沿って写真を撮る。
すると、そのどれでもないカタツムリは、あぶれてしまう。だから、カタツムリの写真を撮る人は少ないのだろうと思う。
大人向けになると、生き物そのものの面白さというよりは、情緒や文化的な側面や美術的な側面が重視される。
僕が目指しているのは、基本的には、子供の本なのだけど大人も楽しめる本。科学、美術、哲学が融合した世界であり、今、少しずつ読者の年齢層が上げていこうとしているところだ。
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2011.12.14(水) 両立

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO

NikonD700 TAMRON SP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO
ニコンのAF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G EDは、大変に優れた描写の明らかに高性能なレンズだが、デカくて重いという弱点がある。
そこで、荷物を軽くしたい時にタムロンのSP AF28-75mmF/2.8 XR Di LD Aspherical
[IF] MACROを使用するのだが、タムロンの方は、明らかに高性能という描写ではないが、何とも言えない味わいのある描写で、それはそれで魅力がある。

NikonD700 LEICA APO-MACRO-ELMARIT-R 100mm F2.8 SILKYPIX
ニコンのレンズとライカのレンズを一緒に使用すると、描写の質感の違いで両者の画像が上手くマッチしないことがあるが、タムロンのレンズとライカのレンズの相性は、悪くないように思う。
さて、年を取り少しずつスタミナが落ちてきているのか、或いは、仕事が増えたからなのか、ここのところ、撮影とデスクワークの両立ができにくい。 元々僕は一球入魂型であり、何か1つのことをはじめれば、他のことが手に付かなくなる傾向がある。
朝から撮影に出かけると、そこで燃え尽き、午後にはほとんど抜け殻のようになってしまい、本作りの構想を練ることや、書類に目を通したり、メールの返信などが滞る。夢中になって撮影したあとにはポワァ〜ンとした心地いい余韻が残り、もう何も考えられなくなってしまうのだ。
かと言って先にデスクワークから始めると、いつの間にか事務職の専門家のようになる。
そこで、撮影なのか、デスクワークなのか曜日を決めようとすると、おそらく被害妄想なのだとは思うが、何だかデスクワークの日に撮影日和な気象条件になり、撮影の日に不適な条件になっているような気がしてならない。
なんとかせんといかん。
特に、本作りの構想を練る時間は、非常に重要な時間だ。
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2011.12.13(火) カメラバッグ
撮影に関わる道具の中でも、もっとも選び方が難しいのがカメラバッグではなかろうか?
これは結局、荷物を入れ、いろいろな状況で出し入れをしてみなければ、いいも悪いも何とも言い難い。
小さなもの場合は、それなりに気に入ったものがあるのだが、僕にとってのフル装備を持ち歩くそれなりのサイズのバッグについて言えば、まだ満足できるカメラバッグに出会ったことがない。
今のところの一番のお気に入りは、タムラックの752。
もっと使い勝手のいいものがあるのではなかろうか?、と新たなものを買っては、タムラック752に逆戻りすることを、これまで繰り返してきた。
752のいい点は、体積の割に機材が多く入ることだ。
先日、上京した際にも、大きなお店で片っ端からバッグを手に取り、性懲りもなく、新しいものを1つ買ってみた。
KATAの製品は、随所に工夫が凝らされている。
この凝り方は日本人の発想ではない感じがするし、懲りすぎていてシンプルではなく、ちょっと疲れる感じがする、という見方もできるだろうが、僕は、「ここまで凝ったのなら、それもいいでしょう!」という気持ちにさせられた。
とにかく、しばらく使ってみることにした。
僕のカメラバッグ選びのポイントは、
1.背負えること
2.バッグの体積の割に機材が多く入ること。
3.バッグ自体の自重が重すぎないこと。
4.高価すぎないことだ。

今日は、さっそくカメラバッグを試す。


わざとレンズ交換を頻繁にして、バッグからの機材の出し入れの機会を増やし、使い心地や使いこなしを試してみたが、今のところ、特に使いにくいところは見当たらない。
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2011.12.4〜12(日〜月) 上京〜帰宅
上京して、ホテルの部屋でパソコンを開きメールの返信をしようと思ったら、受信はできるものの送信ができない。
インターネットには繋がるから、対策を調べ、手を打ってみるがダメ。
そういえば、ウェッブリメールなどと呼ばれているメールソフトを使わないメールの送受信の方法があったなぁと思いだし、試してみたら、ようやくメールの送信ができた。
夜は、ホームページを更新しようと思ったら、持って行ったパソコンにソフトはインストールされているものの、各種設定がなされておらず、サーバーに接続ができない。
そういえば、ノートパソコンは数ヶ月前にトラブルを起こしOSの再インスートルを強いられ、その際にすべてが出荷状態に戻ってしまったのだった。パスワードを記憶していないので、これはどうしようもなかった。
なんだか流れが悪いなぁ。
パスワードその他を記載した重要な手帳を持っていくかどうか迷ったのだが、僕が人ごみや移動に弱く、上京すると、あまりに疲労にしばしば前後不覚になってしまうからうっかり紛失しては困るし、その手の重要なものは置いていくことにしたのだった。
例年、年に1〜2度上京するが、昨年は本作りでいっぱいいっぱいだったから上京の機会がなかった。したがって2年ぶりの東京。
人ごみや団体や移動は大の苦手ではあるが、1対1に近い状況で人に会い、刺激を受けることは大好きだ。
やはり、東京でしか受けられない刺激がある。
その刺激が2年分たまっていたわけだから、頭がクラクラして、帰宅してもいまだに高揚感がある。
帰宅をすると、子犬がお出迎えしてくれた。

NikonD700 Ai AF Nikkor 28mm F1.4D SILKYPIX
送信ができなかったメールだが、帰宅後に試してみると、別にホテルの部屋でなくても送信ができないことが判明した。
日頃、そのノートパソコンではメールの受信はしても、送信はしたことがなかったので、不具合が表に出なかったようだ。
アカウントを作成し直したら、送受信ともに可能になった。
なぁ〜んだ。
まだ学生の頃、初めて昆虫写真家の海野和男先生にお会いした際には、強烈な刺激で、帰宅後も随分長い間、脳がピリピリして寝つきが悪くなった。
すべてが聞いたことがない話、聞いたことがない考え方であるにも関わらず、それらがみな理にかない整然としていて、自分の中に革命が起きたと言っても言い過ぎではなかった。
今回も海野先生にお会いしたが、それはいまだに同じ。自分はまだアマチュアだな、プロになりたいな、と思った。
僕は、感じたことをこの日記に書き、文章という形にすることで整理してきたが、先日海野先生から受けた刺激は、当分整理できそうもない。
ともあれ、簡単には分からないし簡単にはまとめられないことを、教えてもらうことができる。
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2011.12.3(土) 人間とは?自然とは?
本来九州には生息しないはずのイワナが、近頃はあちこちで釣れるようになった。
初めて見たのは、確か10年くらい前だったか。最初は、イワナとヤマメの雑種だと思われる魚が釣れ、おや?と思って川に潜ってみたら、イワナの姿があった。
同じ渓流魚でも、ヤマメとイワナとでは、釣れるポイントが若干異なる。
九州で釣りを覚えた僕の場合、体に染みついているのはヤマメのポイントであり、それまでその川でイワナは針には掛からなかったのだが、潜ってみると、あまりに多くのイワナが泳いでいた。
一度住み着いてしまったものが、元に戻ることはあるまい。
釣り師のエゴに、大変な憤りを感じたものだった。
だがその後、釣り師のエゴなどという問題ではない、と感じるようになってきた。
魚をよそに放す行為自体は、どうも環境問題などという概念が生まれる前の、大昔からなされていることのようなのだ。
ただ、そこに現代の発達した物流の力が加わった。外国からだって、魚を生かしたまま、持ってこれるようになった。
エゴという人の心の問題というよりは、それが可能な手段ができただけ。
人はそうして、次々と自然界にはないものを作り出していく。
いろいろと想像してみるが、物流の発達が止まることはあるまい。もしかしたらそれが、そうしてドンドン変えていくのが、人間という生き物なのかな?
自然を見つめると、僕はいつも、人間って何なんだ?という思いにたどり着く。
妹からの連絡で、母に癌が見つかったと知らされた時には、逆に自然っていったい何なんだ?という思いが込み上げてきた。
普段、自然でありたいと思う気持ちが強い僕が、自然に任せておくわけにはいかん!と思った。
自然界は、生き物たちが適正な数に保たれるようにできていることを思うと、医療は大変に不自然な行為なのだろうけど、医療ってありがたいな。人間ってスゴイなぁ、と。
僕が普段伝えたいと思っている自然って、いったい何なんだ?自分が分からなくなるような気がした。
親って、ありがたいなぁと思った。
将来自分に起こり得ることを、先に経験して見せてくれる。
面倒で煩わしくて、時に苦痛な診察を淡々と受ける姿を目にして、ああ、こうやるんだ、と教えられる感じがする。
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2011.12.1〜2(木〜金) 機会
掲載誌が届いた。
出版はかなり前から作業を始めるので、写真を貸し出したのは随分前のことであり、出来上がったものが届くのは、大抵は忘れた頃になる。
担当の人が、過去に顔を合わせたり、話をしたことがある人の場合は、本が届けられた時のうれしさが倍増する。 やはり相手の顔が見えることは大切なことなのだろう。
僕は知らない人と顔を合わせるのが、あまり得意ではない。そんな人付き合いの悪い僕が、どうやって現場で作業をする編集者と最初に顔を合わせるのかと言えば、大抵は、管理職の立場にあるベテランの編集者がそうした機会を作ってくださる。
ありがたいことだ。
昨今は、「好きなことをしましょう!」「好きなものを見つけましょう!」と自分が好きなことをするのが持て囃される世の中だが、人から与えられて初めてわかることもある。
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